KOHEI TAKAHASHI

WORK

街の仮縫い、個と歩み|Transitional Cityscape, Individual paths.

インスタレーション(兵庫県立美術館にて)2016年
VIDEO, カラー写真, 段ボール, 毛布, 複写印刷物, ベニヤ板,キャスター, 懐中電灯, ペットボトル, 缶詰, カッティングシート他
撮影:表恒匡

《街の仮縫い、個と歩み》は、24点の写真, 3点の映像, 壁に貼られた言葉等で構成された作品全体の題名であり、2016年10月15日〜11月20日まで兵庫県立美術館で開催された高橋耕平の個展タイトルでもある。作品は約14m四方の空間と、12mのコンクリート壁面に設えている。この作品は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災以降の都市の記憶と経験を題材にしたものである。作品の設置・発表場所となった兵庫県立美術館の前身となる兵庫県立近代美術館は、震災で建物及び収蔵品の破損などの被害を受け、その後2002年に震災復興のシンボル地であるHAT神戸に場所を変えて新たに建設された。場所が持つ記憶や個人史の取材を通して、個人の社会の関係について作品制作を行う私は、震災から20年以上を経た神戸の地及び兵庫県立美術館で行うに相応しいテーマとして上記を題材に制作を進めた。

【展覧会のためのアーティスト・ステートメント】
他者の経験に容易く身を重ねることなど不可能だと言わんばかりの数の震災資料が, 兵庫県立美術館のすぐ西側の, 阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターの収蔵庫にある。 書庫にも似たその空間に立つと特別な「私」の存在が, 単なる一事例として包まれ埋もれて行く。 と同時に個の存在を常よりも意識する。 別々の理由を経て寄り集まった資料と収蔵庫の有り様は, 各々の人生が寄り集まった街の姿と重なる。 提供者ごと内容ごとに分けられた資料は, 包みを解かない限り人の眼に触れることはない。 街で生活する我々は土地やフロアを分け各々の空間に住まうが, 近くに居たとしても互いを知る機会はそう多くない。 そして同じ場所, 同じ時代に居ても, 同じ経験をしているわけではない。 我々は他者同士である。 他者は自分と違う経験をしており, そこには自分の未来の経験を先行している可能性がある。 私の経験もまた他者にとってその可能性を有している。  「少し意地悪な言い方だが, 多くの健常者がそろって“障害者体験”をしたと言えませんか ?」  震災経験を可能な限り理解しようと資料を読み漁っていた際に目に留まった言葉である*。 これは脊髄損傷以来車椅子で生活し, 西宮で被災した廉田俊二さんの言葉だ。 思いのままにならない衣食, プライバシーのない生活空間, 困難な移動は, 被災者が経験したことの一部だが, 障害を持って生活する人間も似たような制約を日々経験している。 私は被災経験も障害も持たない。 私が望んだとしても当事者と経験を同じくすることは難しい。 ただ廉田さんの言葉は自分を含めた非当事者に対し, 当事者経験を感じ理解する方法を示しているように思う。 ある問題に対し別の経験を代入して考察する可能性についてである。  本作で私が取材・撮影を行った3人(内1人はインタビューのみ)は, 現在阪神間で生活を送っている。 被災の有無, 障害の程度や種別, 年齢や経験はそれぞれ違う。 彼・彼女らの現在の街の歩みが震災と直接の関係があるわけではないが, その経験から身体と空間の関わ り方を再考することができる。 ある人間にとって快適な街の形が, ある人間にとっては不都合な形をしている。 故に身体は街に, 街は身体に互いを接触させながら絶えずその形を更新して行く。  震災資料もまた, 非当事者に別の可能性を示している。 資料を遅れて見る者は時として資料提供者が気づくことがなかったものを見てしまう。 勿論そこには常に誤読の可能性が含まれるが資料がそこに在る限り, 解釈可能性は常に開かれている。 我々が住まう世界は善意で満たされている訳ではない。 別の態度や振る舞いも当たり前のようにそこに在る。資料は我々の姿を保存している。   私には, 他者の経験に自らの身体を接続することで, 自分の未来に起こりうるかもしれない経験を先取りしたいという欲望がある。 そしてその欲望に形を与えることで, 他者が未来に経験するかもしれない事例を先行する事を望んでいる。 たとえそれが失敗の先例であったとしても。 2016年9月 髙橋耕平

  *酒井道雄編『神戸発 阪神大震災以降』(岩波新書, 1995年6月20日発行)P.59より引用した言葉。 廉田俊二さんは現在, 特定非営利 活動法人メインストリーム協会理事長を務める。 メインストリーム協会は障害者自身が運営する障害者のための「自立支援セン ター」として, 兵庫県西宮市に拠点を置く。

【映像について】 
映像は現在の神戸・阪神間に住む3人への取材に基づくものである。3人は身体に障害を持つ。居住地、被災経験、年齢、性別、障害の種別と程度もそれぞれ異なる。3人の特徴的な街の歩みを映像で記録し、取材時を元にした髙橋自身による再演が映像に加えられている。震災の経験と障害を持って生活する人間の経験が直接関係を結ぶわけではないが、非常時の経験は障害者の日常経験に通じるところがある。震災資料を引用した写真や、震災時に使用された物(毛布、段ボール、掲示チラシ、ライト、水、非常食等)との関連の中で映像を見ることは、それぞれの当事者、非当事者の関係を繋ぐ可能性がある。

《益田さんの歩行訓練》 https://vimeo.com/185203382
全盲の益田さんが介助者なしに道を歩くため、定期的に行っている歩行訓練士との練習風景が記録されている。そしてその中に益田さんと髙橋のやり取りが、髙橋の声によって再演された音として再生される。益田さんの歩みに作者の身体(カメラの視線、声のリズム)を重ねることで、個人の経験をなぞろうと試る。

《K.M.さんの話》 https://vimeo.com/185199463
耳の聞こえないK.M.さんに手話やメールを通して聞き取った話を元に制作した映像(サイレント)である。K.M.の経験をもとに撮られた神戸の風景には、髙橋自身も含めた多くの人々の歩みが記録されている。映像にはK.M.さんと髙橋のやり取りがテキストとして上に重なる。外見からは障害を持つように見えない聴覚障害者ならではの街の経験を、文字と映像によって視覚化している。

《鍛治さんの遠征と納車》https://vimeo.com/185338626
脳性麻痺によって車椅子で生活する鍛冶さんの長期距離移動と、新しい車椅子への乗り換えの様子を記録している。身体と都市空間との関わりと同等に、身体と車椅子の関係が記録されている。また社会と障害者の理想的な関係のあり方、これ前の人生でのエピソードを語る鍛冶さんの言葉のリズムが記録されている。

【写真について】
24点の写真はいずれも阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターが所蔵する写真等、震災資料の複写を、現在の神戸・阪神間の地面等に置き撮影したものである。即ち、過去の記録であると同時に、現在の私がそれをどう見たかの記録でもある。そして車輪付きの板に載せて床にランダムに配置された写真を、鑑賞者もまた足元に、今ここにある時間の地層として眺めることになる。  ここで選ばれ、複写された写真・資料の多くは震災を直接表象するものではない。地震発生以後の時間の中で人々がどのように街を経験し生活したのか、その景色や視点が保存されている。震災アーカイブとしての資料を現在の街の経験(映像作品と展示空間そのもの)に接続することで、資料に潜む個人の経験を読み解こうとするものであり、決してきっちりと重なることのない経験の個別性を引き出そうとするものである。写真の四隅には、神戸・阪神間で採集されたコンクリート片、陶片、石などが重しとして置かれ、板下部の車輪は直ぐに移動可能な状態でそこにある。床に配置された写真作品は我々が踏みしめる地の時間の重なりを表すとともに、街で各々に暮らす個人を、震災時の瓦礫を想起させる。街に住む人間と街の関係は常に仮設的な関係にあり絶えず更新している。 写真が乗せられた板のそばにはナンバーが振られ、配布のキャプションと照合することで、個別の作品タイトルだけでなく、作中で引用した震災資料の来歴が理解できる構造になっている。 

 

【言葉による作品】
制作リーサチの過程で複数人に震災の個人的な経験を聞き取った。そこの言葉の中から作者である私が深く印象に残った言葉を「語り言葉」のまま切り出し、ホワイエの壁一面に貼った作品。震災という圧倒的事実を前にする場合、個人の声、経験は大きく聞こえる訳ではない。自ら意思を持って近づかないと、ふとしたタイミングでそれに出会わないと、簡単に通り過ごしてしまう程のものである。灰色の地に灰色で貼られた文字は、意識を払わねばその存在すら見えてこない。震災からの文化的復興のシンボルとして建てられた兵庫県立美術館のコンクリート壁に、ささやかな個の声が、地層の奥から浮かんでは沈むよう配置した。  言葉は写真や映像よりも直接的により具体的に鑑賞者に働きかけてくる。そして震災の当事者、非当事者でその言葉の重み、解釈が大きく異なる。前後の文脈を断ち切り編集した言葉をランダムに並べることで、言葉の多義性を鑑賞者に投げかけ、見るものそれぞれが自身の経験を動員し、想像を巡らすような設えをしている。

  

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