KOHEI TAKAHASHI

WORK

「切断」のち「同化」(遠隔同化|Keep to assimilate another kohei)

「切断」のち「同化」2017|video[50:03] Location:KYOTO ART HOSTEL Kumagusuku

KYOTO ART HOSTEL Kumagusukuの客室を舞台に2017年10月にスタートした「遠隔同化―二人の耕平」は、「切断してみる。ー二人の耕平」(豊田市美術館)=「切断」を経て、「同化」を試みる為、kumagusuku客室の作品の総入れ替えを行った。
「切断」のち「同化 (Assimilation after cutting)会場ハンドアウト

昨年10月にスタートした小林耕平×髙橋耕平による「遠隔同化―二人の耕平」。その後、同じ二人の耕平は、豊田市美術館で開催した「切断してみる。―二人の耕平」での「切断」にまつわる5 つの課題の実践を通して、想定外(?)にも、作家としての主体を露にし、思わぬ同化の一端を垣間見せた。この経験を受け、クマグスクで「同化」を顧みる。今回は、4 つの課題。お互いの手の内も分かったところで、それぞれの取り組み方はどうなるのだろうか。「切断」のち「同化」の試み。

【同化と◯◯ 境目を意識する】
同化は完全に「一」の状態なのか。ぴったりと重なった状態。ただ、そこにどんな区別も境目もないとなると、同化していると、どうやって証明することができるのだろうか。一つしか見えなければ、最初から一つしかないように思われるのだから、同化という出来事が起こっているのかどうかも分からない。同化を確かめるために、少しだけズラして、わずかな境目を意識してみる。4 つの部屋と一つの共有スペースから成るクマグスクの構造が、境目を意識することを可能にしてくれる。
テキスト:千葉真智子(豊田市美術館)

【Room1】同化と相似
大きさが違っても、同じ性質を持っているのなら、同化していることになるのではないだろうか。
距離を変えれば、大きさは変更できるのだから。
強度が違っても、同じ性質を持てたなら、それは同化なのではないだろうか。
強度の違いは、確かめられるのか。

小林耕平《あくびの反転》
髙橋耕平《歌》


【Room2】同化と素通り
私のなかに/何かのなかに空洞を作る。何でも通り抜ける空洞。
その空洞が塞がったとき、同化は起こっていることになるのだろうか。
空洞を通り抜ける。何かの空洞を塞ぐとき、その何かに同化していることになるのだろうか。
何かの一部になることと、同化は違うのだろうか。
空洞の輪郭を感じることは、同化を感じることになるのだろうか。
小林耕平《指先を波に通す》
髙橋耕平《口口》

【Room3】同化と包摂
個々のものを入れる大きな袋を考える。
大きな袋の中身が見えなければ、個々のものが中にあることは分からない。
外から一つしか見えないとき、中は同化していることになるのだろうか。
袋が揺れて中身が混ざり合う。輪郭が溶けてなくなる。
それでも外から見た袋は、前と同じままなのだろうか。
小林耕平《ラクダのこぶと腹筋を鍛えること》

髙橋耕平《48》https://vimeo.com/222604728


【Room4】同化と類似
同じであることと、似ていることは違うのだろうか。
何かに似ていると認めることは、それを受け入れることではないだろうか。
受け入れたのなら、受け入れたその部分は、同化していることになるのではないだ ろうか。
同じと、似ているを区別するものは?
小林耕平《運動の表裏》

髙橋耕平《石たち》

【共有スペース】同化のレッスン
①から④の起点となる同化のためのレッスン。
境目を意識することで、同化はどんな姿を見せるのか。

installation view [Photo MASAKAZU ONISHI]

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